”東広島LOVEな人”に聞いてみた
移住・創業インタビュー
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月曜日~金曜日(12月29日~1月3日、祝日は除く)
8時30分~17時15分
”東広島LOVEな人”に聞いてみた
移住・創業インタビュー
◎東広島市志和町在住 44歳 ◎居住歴:7年 ◎出身地:広島市
※2025年1月取材
海外の飲食に携わる企業で働いたことがきっかけで、食の安全や安心の大切さに気付き農業の世界へ。栽培方法や考え方に共感した、志和町の『安芸の山里農園 はなあふ』での就農研修を経て独立。現在は年間を通じ、有機栽培の作物を50品目100種類ほど栽培・出荷している。土づくりにこだわりを持ち、「わが子が安心して食べられる野菜」がモットー。加工品づくりや体験農園という今後の夢を描いている。
学生時代は海に興味を持っていたため、大学で海洋工学について学んでいました。次第に「もっと広い世界を見てみたい」と考えるようになり、中国へ語学留学し生活する中で、「このまま中国で働きたい」との思いが芽生え現地の企業に就職しました。
飲食関係の会社だったため、現地の食事情を目にする機会が増えていき、次第に不安を覚えるようになりました。例えば誰が作ったかわからないような原材料、日本と異なる製造工程を見るにつけ、「もしもここで結婚して子どもが生まれたら、この土地の食べ物を食べさせるのは心配かもしれない」という気持ちが大きくなっていったのです。一時帰国した際は食べ慣れた日本の食事に、あらためて「美味しい」と感じる場面も多くありました。そうして「家庭を持つなら日本で」と帰国を決め、10年間に及ぶ海外生活に終止符を打ちました。
「食の安全や安心」というテーマがずっと心に残り、次に私が選んだのは農業の世界でした。関東圏から順に関西や中国地方の農家を調べ、志和町の『安芸の山里農園 はなあふ』に辿り着きました。有機栽培農家であることが一番興味を惹かれた点ですが、実際に訪れて食べさせてもらった野菜が驚くほど美味しかったんです。「学ぶなら絶対にここが良い」という思いで、就農研修を受けることにしました。
研修、そして一年半後の独立に際しては、東広島市の就農支援に関する助成金を活用しました。制度がととのっていることが心強く、非常にありがたかったです。屋号は百姓の“百”の字と、「いろいろな野菜を作って、いろいろな人とつながりたい」という思いを込め、『百や(ももや)』としました。研修を受けた志和町で人を介して土地と空き家を紹介してもらい、ここで農業を営むことに決めました。志和町は標高による寒暖の差があり、美味しい野菜を育てるにはうってつけの地域です。ほかのまちに比べて有機栽培を行っている農家が多く、横のつながりが作りやすいと感じたのも、この地を選んだ理由です。
栽培している野菜は、ニンジンやジャガイモ、キャベツ、ブロッコリーなど、およそ50品目100種類。安全な飼料を食べて育つ牛の堆肥を活用し、栄養豊富で野菜がしっかりと根を張れるような土づくりに最も力を入れています。育てた野菜は『道の駅 西条のん太の酒蔵』や、JA交流ひろば『とれたて元気市 となりの農家店』に出荷しているほか、広島市内の自然食品店にも複数卸していて、食にこだわりを持つお客様から「とっても美味しい」という声をいただいています。
独立してから3年後の2021年にはわが子が誕生し、現在3歳。やんちゃ盛りで、畑から抜いたニンジンを洗ってそのまま丸かじりしたり、ジャガイモチップスを妻に作ってもらってよくおやつに食べたりしています。不安のない食事をとることができ、当初の思いが叶えられたと感じている日々です。
移住当初、田舎ならではの人のしがらみがあるのかなと多少心配に思っていましたが、志和町の人は外から入ってきた人に対して、とてもオープンでフレンドリー。「若いのにえらいのぅ、頑張ってみぃや。」と地元の人に声をかけていただいたこともありました。また、地域の祭りや草刈りなどにも参加することで、少しずつ人の輪が広がってきています。仕事においては、複数の農家で青ナスや大豆といった手のかかる作物を共同栽培して、この土地の農業の可能性を模索している真っ最中。移り住むことに対して不安を感じる人もいるかもしれませんが、私自身は、そんなに気構える必要はないと感じています。それよりも、「自分がやりたいことがどんな地域でなら叶えられるか」を軸に考えたほうが、道がひらけていくかもしれません。
今後私が挑戦してみたいのは、加工品づくりと体験農園。農業を営んでいると、どうしても農閑期が出てしまうので、そこに加工品づくりを導入して、農家が稼げる仕組みを作れないかと考えています。また、こちらからアプローチするだけではない、逆に人を呼び込めるような体験農園を開き、志和町の賑わいづくりに一役買っていきたいです。